昭和27年12月 | 会社設立 |
---|---|
昭和48年 | 花園町ビル完成(鉄筋5階・200坪) |
昭和55年 | 三番町ビル完成(鉄筋4階・150坪) |
昭和63年 | 配送センター完成(敷地500坪) |
平成2年 | 会津倉庫(三津浜)完成(敷地220坪) |
平成11年 | 代表取締役社長に岡内 正が就任(2/1) |
平成15年 | CI導入 花園町SHOPリニューアル(8/25) |
平成19年 | キッチンショップmarusanオープン(11/20) |
平成20年2月 | 三番町ビルリニューアル |
平成21年4月 | マルサンパントリー・サイトリニューアル(4/10) |
平成23年8月 | 花園町ビル改修・スウィートキッチンリニューアル |
平成23年 | マルサンコンピュータシステム稼働 |
平成24年 | 創立60周年・マルサンパーキング完成 |
平成28年 | 鷹ノ子アネックス(倉庫) ,CAFE Marusan 完成 |
松山丸三の創業者・岡内秀喜氏は、生まれも育ちも高知の人。
いごっそうの血が勝っていたのか、豪快で反骨精神の旺盛な人物だったようだ。16歳で東京に飛び出し、数々の仕事を経るうち『シースルーの封筒』を開発。選挙に利用されて大儲けをする。その後、大金を散財したのち、高知に帰り、新聞社、銀行マンを経て、高知に「丸三」を設立。昭和27年に、出張所という形で生まれた松山丸三を運営することになるのである。
さて、出渕町(いでぶちまち・・今の花園町)に生まれた店は25坪ほどの広さ。すでに松山にはお菓子の材料を卸す店があったので、ライバルのないアイスキャンデーやソフトクリームを作る冷菓用機器や材料から商売をスタート。次第に現在につながる業務用機器や材料卸も手がけるが、創立して間もない会社の基盤を作ってくれたのが『大判焼』であった。
昭和31年~33年、獅子文六の小説『大番』が週刊朝日に掲載され、ユーモラスな出世物語が話題を集めた。大番という名前をつけたお菓子も登場。松山丸三でもタイコマン焼き機を販売していたので、そのサイズを大きくして「大番焼き機」に変えようという案があった。だが、まてよ、小説と同じ名前は使わない方がいいだろうと、字を変えて『大判焼』する。あんこがたくさん入った大型サイズの『大判焼』は景気がよいと喜ばれ大ヒット。材料は独自に『大判焼の素』を開発し、大判焼の器具一式と大判焼の素をあわせたセットは、素人でもすぐ店が開けるということからみるみる間に、四国、中国地方から全国へと広がった。今や全国区の「大判焼」の発祥が愛媛の松山にあったとは、今となれば「意外な事実」かもしれない。

日本が沈没する位使われているといっては大げさであるが、全国各地の餅屋さんや菓子屋さんの工場で数多くお使い頂いているのが上の写真の自動定量分割機「オーケーカッター」だ。
松山丸三創業者の発明で既に開発から40年以上経た現在も松山丸三の全国の顔である。和菓子職人さんが手で餡や生地をちぎっては丸め、ちぎっては丸めているのを見て開発した。その後も衛生面でボディーやパーツ素材の改善、安全性向上、精度の高度化など改良改善を重ねて今日に至っている。お菓子や餅だけで無く、さまざまな食品生地の分割や丸めに使われている大ヒット機である。(生地を丸めるには上記写真機械と別に、オプションの丸目機が必要です)
この機械は多くの模倣機械が販売されているが、基本性能の高さは類が無い。
また、和菓子の命は餡と言われるが、皮をむいた小豆の餡はあっさりとした味わいと、はらはらとした口溶けの良さで京菓子中心に高級餡として知られている。うす紫色の上品な色も趣がある。しかし、あの小さな小豆の皮をむくという作業はとても手間がかかり簡単な仕事ではなかった。地元のお羊羹屋さんのアイデアで発明され、商品化したのが「豆皮剥ぎ機」である。この機械も全国の餡屋さんや和菓子屋さんの多くで使われており、高級和菓子の餡作りに一役かっているのである。


ヨーロッパやアメリカからショートケーキやデコレーションケーキなどの洋菓子が本格的に入ってきたのは昭和30年代。松山丸三ではお菓子屋さんを集めて、講習会を開き、洋菓子普及の先鞭をつけた。昭和35年の頃である。
当時は、まだ一般的にも油脂やチョコレートを使う習慣がなかったが、生活習慣の洋風化と共に洋菓子は驚くような勢いで広まっていった。また、オイルショック後の、昭和48年には、お菓子の材料や器具を一般のお客様に販売する店をオープンする。当時は卸がこのような小売のお店を開くのは珍しく「卸が小売を始めた」と非難を浴びた事もあった。この頃、百貨店等でもぼつぼつお菓子の材料が売られ始めたが、松山丸三ほどこまめに品揃えをしている店は無く、卸のような大きい単位でなくても購入できる点もうけた。何しろ、お店で小分けし、すぐ販売するのだから新鮮で安心でもあった。
写真は昭和30年頃の写真。卸問屋ゆえ店の扉が無い。昭和ののどかな良き時代であった。
また、もうひとつの人気の秘密が、店で定期的に開催してい家庭用のお菓子やパン作りの講習会である。お店の上で開催しているので原材料や道具には困らない。また、毎日入荷する新たな材料や情報をもとに講習をするので毎回参加をしてもとても新鮮なのだ。
1回ごとのコースなので初心者の方でも気軽に参加できるのも魅力である。
SHOPの2階に明るい講習会場「スウィート・キッチン」の講習会は、毎月募集と同時に定員に達するほどの人気振りである。
以降、幾多の紆余曲折を経て、21世紀の現在においても創業時の懐の深さとユニークさを持ち続けつつける企業であるべく、日々研鑽を積んでいる。
